街とその不確かな壁
『街とその不確かな壁』(村上春樹)
◆あらすじ ネタバレ含む
起:17歳の主人公には16歳の恋仲の少女がいた。少女は「壁で囲まれた街に少女の影がいる」という話をする。そして音信不通となり、大人になった40歳のある日、主人公は一角獣を焼却するための穴で目覚め、壁で囲まれた街に着く。街では影をはがされ、図書館で「疫病を防ぐ」夢読みとして働く。引き剝がされた影が消滅する直前、僕は影を背負って外の世界につながっているという川下の滝壺に影を逃がす。
承:元の世界。退職し、一目惹かれた福島県会津市にある小さな図書館で館長として働くことになる。壁で囲まれた街で勤めていた図書館の一室にそっくりな地下室、すでに亡くなった元館長であるお人好しの子易さん、受付の女性の添田さんと出会う。コーヒーショップの店員に微かな恋心を抱き、通うようになる。
転:イエローサブマリンのパーカーを着て見境なく図書館のすべての本を読む少年は、主人公と内密に壁で囲まれた街の話をし、再び壁で囲まれた街へ入り込んでしまう。ある森の深くで少年の抜け殻に耳を噛まれ、主人公も再び少年の後を追う。
結:イエローサブマリンの少年は主人公の体に入り込み、主人公と共に夢読みをするが、最後は図書館の彼女に別れを告げ、影と共に街を脱出する。
四月物語
時間がないのであとでゆっくり書きます、でも明日になっちゃうかもしれない。
村上春樹の新刊も読み始めたところなので土曜日に全部処理できるか怪しい。。
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(追記)
岩井俊二監督の『四月物語』が、YouTubeで期間限定配信されていたので観ました。大学入学を機に上京してきた(自称性格は明るいほうだ、というような)女の子が、慣れない環境に戸惑いながら身の回りの人と交流を図り、密かに秘めていたある目的を達成する素朴な物語。1時間強のシンプルな脚本に、演出極振り、各カットに詰め込めるだけの郷愁が漂い、全体としては魔女の宅急便のようだと思いながら、そのきめ細やかな美しさに惹き込まれるとても魅力的な作品でした。
岩井俊二監督の映画は全部好きだけれど、ほかの監督を含めた前映画の中でもかなり好きな部類の映画です。
物語冒頭の桜が舞うシーンに始まり、上京・大学進学というワクワクをそのままに物語が最後まで進行して、GWの始まりにぴったりの作品でした。
佐々木インマイマイン
一旦投稿
記憶容量の話
InstagramやTwitter、YouTubeをはじめとする昨今のSNSやブログなどは途方もない超大容量のサーバーを所有していて、数メガバイトの画像も動画も気軽に上げることができる。毎日のように画像や動画を上げても、現段階では上限に達する気配はないし。
…とはいうものの、個人的な人生の記録を第三者のサーバーに負荷をかけながら蓄積させることは幾分か抵抗がある、ネット上に記録として上げる画像には、観光地などで撮った、匿名の、調べれば似たような画像が山ほど出てくるものもあるし。
一方で1日1000文字の日記をかけば1日2KBで済んで、一年間で365x2=730kB~1MB=50万文字、大体文庫本2冊程度のサイズに収まる。50万文字は個人の1年間の出来事や思考、感情を記録するには少ないということもないだろうし、適当にスマホで撮った2MBの画像1枚と比べても圧倒的な情報量がある。第三者サーバーに頼らずとも、個人が無理なく所有できる容量に収まる、そういう意味でもブログのようにこうして文字で記録しておくことは、エネルギーの消費を抑えられて罪悪感が少ない。
と言いつつも、百聞は一見に如かず、視覚的・聴覚的なイメージをダイレクトに保存したい場合は何の躊躇もなく画像や動画を上げるんだけど。ただやっぱり言語で記録しないと表面だけが綺麗な虚無が無駄に溜まるだけなので…
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データセンターの建築設計することも多かった(自分は過去に1件だけ)けど、ネットで適当に調べてみるとGoogleなんかは20ZB(G<T<P<E<Z<Y, 20x10^9TB)近いサーバーを所有しているという記事もあった。とんでもない数や。
『ラブカは静かに弓を持つ』
関西にきて早3年、いつでも関東に戻れるとはいえ、どこにいてもやることが変わらないのでそのまま住み続けてる。友達と言えるのは会社の同僚くらい、ひどいと毎週、何もなければ毎月のペースでご飯を食べに行って、近況報告をしたりする。ただそれだけのことしかしていない、と言いながら、休日は決まった行動をとりやすく、顔見知り程度にもカフェの店員さんと挨拶をするようになったり、ひとつの美容院にも通い慣れたり、趣味や人伝いで知り合いが増えたり。生活している以上、取るに足らない小さな規模で、自分が中心となったマインドマップが少しずつ枝を伸ばして、アイデンティティを環境の中に見出し始めてしまっている。
一方、人間関係にも恵まれ、楽しいことも多い、それなりに充実した生活を送っていて、それは最終的にどこに向かうのか?と思うとその豊かさが却って不安になったりする。人生は損得でないとは言え、膨張したマインドマップの相関図はどうやって収束するのか。そしてその間、関東に置いてきた25年分の巨大な相関図は過去3年間一切更新されていない。
映画や小説では最後の章と多少のエピローグさえ見届けてしまえば良く、余事象やその後の展開はもはや二次創作で曖昧に片づけられる。現実は小説よりも奇なり、表現するには煩わしい複雑さを包含している。裏を返せば、客観的な物語性への羨望が説明可能で単純明快な人生を仕向けるのかもしれない。
例えば楽器でもなんでも練習しないと技術は衰えてしまうけれど、そうなると我々は死ぬまで練習し続けるのか。毎日1時間練習する、運動する、勉強する、それは果たしていつまで?とよく思う。昨日したことは今日もする、明日もしないと無駄になる、という思いが強い、損得勘定の延長か、なんか面倒な性格してるな??でも小さいころに弾けた楽器は大人になったら弾けなくなってしまいました、なんて、やっぱり悲しい。
こんな経験をした、こんな人がいた、今はできないけど当時はできた、それが今の某に役立っている、という半ばこじつけられた論理によって過去と因果を結び、現在を肯定する、人生を納得させることに抵抗があるわけじゃない、それはそれで人間らしくていいんじゃない、と思えるし、結局帰着するのはこの「まあ人間らしかったよね、」というところなのかもしれない、ただ逆らえない境遇や懶惰とは別に確固たる信念は固持しておくべきなんだろうとは思う。
仕事で関西に飛ばされてきた、即ち半ば人生の寄り道が強要されるような出来事は自分だけが特別経験していることではないと思うけど、それぞれどうやって収拾をつけているのか。
今日はこんなことをグルグル考えていました、充実したいい日だったから余計に。
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というのを一通り考えてから、
実はこの経験は、期限付きでスパイとして潜入した音楽教室で交流を深めていく橘とほとんど同じことをしているのかもしれないと気付く。むしろ、潜在的に橘の境遇にひっかかっていたからこそこんなことを考えたのかもしれない。登場人物と自分を重ね合わせる、みたいなことはあんまりしたくないんだけど。
■『ラブカは静かに弓を持つ』安壇美緒 2023.04.22
カフェに入り浸って一気読み。だらだら始めたけど最後は時速120pで進めた。
(チェロの技術とは対称に)不器用な橘に対する浅葉のにじり寄るような言動が最後まで絶妙に表現されていて、テーマもさることながら、無骨な主人公の仕事に対する義務感とチェロを演奏する愉悦感の間に揉まれる葛藤、二者択一の極端さにハラハラした。つい先日セッションの映画を観たばかりで、来週はBLUE GIANTを観に行こうと思っている、最近はバンド練もあって音楽熱が高い。
ところで芸術全般を扱う小説で、その芸術の在り様を表現する文章はいつも身構えて読んでしまう。今まさに小説の感想を書いた自分が置くべき後書きではないけど、それらしい視覚的・感覚的イメージの単語を並べた滑稽な表現に転びやすく、芯があって輪郭線をきれいに写し取ることは技術要求のレベルが高く難しい、と思う。
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マティス展行きたいな、GWも東京に行くけどさすがに混むかな。
明日から頑張る
小学校の友達の誕生日が4月1日で、一番最後に年をとる(民法第143条)おかげで新年度の始まりが4月2日なのかと思ってた、実際は4月1日にちゃんと新年度になっているらしい。
1年間の目標は1月よりも環境が変わる確率の高い4月に立てるほうが良い派、
今年度の目標は日付が変わる前に寝る日を80%以上にする、です。
というわけでもう寝ます。
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坂本龍一さんの訃報。直接お目にかかることはないままに夭折されてしまったことが悔やまれます。ご冥福をお祈り申し上げます。今日は戦場のメリークリスマスを聴いて寝ます。