白河夜舟の備忘録

【白河夜船】実際には見ないのに、見たふりをすること― (引用:広辞苑)

自分のための記録です。思考や感情の変遷を、日記的メモ的にまとめています。
学生時代の記事は一部を除いて非公開にしています。
過去の自分は他人だと思っています。

『ラブカは静かに弓を持つ』

関西にきて早3年、いつでも関東に戻れるとはいえ、どこにいてもやることが変わらないのでそのまま住み続けてる。友達と言えるのは会社の同僚くらい、ひどいと毎週、何もなければ毎月のペースでご飯を食べに行って、近況報告をしたりする。ただそれだけのことしかしていない、と言いながら、休日は決まった行動をとりやすく、顔見知り程度にもカフェの店員さんと挨拶をするようになったり、ひとつの美容院にも通い慣れたり、趣味や人伝いで知り合いが増えたり。生活している以上、取るに足らない小さな規模で、自分が中心となったマインドマップが少しずつ枝を伸ばして、アイデンティティを環境の中に見出し始めてしまっている。

一方、人間関係にも恵まれ、楽しいことも多い、それなりに充実した生活を送っていて、それは最終的にどこに向かうのか?と思うとその豊かさが却って不安になったりする。人生は損得でないとは言え、膨張したマインドマップの相関図はどうやって収束するのか。そしてその間、関東に置いてきた25年分の巨大な相関図は過去3年間一切更新されていない。

映画や小説では最後の章と多少のエピローグさえ見届けてしまえば良く、余事象やその後の展開はもはや二次創作で曖昧に片づけられる。現実は小説よりも奇なり、表現するには煩わしい複雑さを包含している。裏を返せば、客観的な物語性への羨望が説明可能で単純明快な人生を仕向けるのかもしれない。

例えば楽器でもなんでも練習しないと技術は衰えてしまうけれど、そうなると我々は死ぬまで練習し続けるのか。毎日1時間練習する、運動する、勉強する、それは果たしていつまで?とよく思う。昨日したことは今日もする、明日もしないと無駄になる、という思いが強い、損得勘定の延長か、なんか面倒な性格してるな??でも小さいころに弾けた楽器は大人になったら弾けなくなってしまいました、なんて、やっぱり悲しい。

こんな経験をした、こんな人がいた、今はできないけど当時はできた、それが今の某に役立っている、という半ばこじつけられた論理によって過去と因果を結び、現在を肯定する、人生を納得させることに抵抗があるわけじゃない、それはそれで人間らしくていいんじゃない、と思えるし、結局帰着するのはこの「まあ人間らしかったよね、」というところなのかもしれない、ただ逆らえない境遇や懶惰とは別に確固たる信念は固持しておくべきなんだろうとは思う。

仕事で関西に飛ばされてきた、即ち半ば人生の寄り道が強要されるような出来事は自分だけが特別経験していることではないと思うけど、それぞれどうやって収拾をつけているのか。

今日はこんなことをグルグル考えていました、充実したいい日だったから余計に。

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というのを一通り考えてから、
実はこの経験は、期限付きでスパイとして潜入した音楽教室で交流を深めていく橘とほとんど同じことをしているのかもしれないと気付く。むしろ、潜在的に橘の境遇にひっかかっていたからこそこんなことを考えたのかもしれない。登場人物と自分を重ね合わせる、みたいなことはあんまりしたくないんだけど。

■『ラブカは静かに弓を持つ』安壇美緒 2023.04.22

カフェに入り浸って一気読み。だらだら始めたけど最後は時速120pで進めた。
(チェロの技術とは対称に)不器用な橘に対する浅葉のにじり寄るような言動が最後まで絶妙に表現されていて、テーマもさることながら、無骨な主人公の仕事に対する義務感とチェロを演奏する愉悦感の間に揉まれる葛藤、二者択一の極端さにハラハラした。つい先日セッションの映画を観たばかりで、来週はBLUE GIANTを観に行こうと思っている、最近はバンド練もあって音楽熱が高い。

ところで芸術全般を扱う小説で、その芸術の在り様を表現する文章はいつも身構えて読んでしまう。今まさに小説の感想を書いた自分が置くべき後書きではないけど、それらしい視覚的・感覚的イメージの単語を並べた滑稽な表現に転びやすく、芯があって輪郭線をきれいに写し取ることは技術要求のレベルが高く難しい、と思う。

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マティス展行きたいな、GWも東京に行くけどさすがに混むかな。

matisse2023.exhibit.jp