お花見問題
今年はもう東京の桜が満開になったらしい、早すぎる、真の満開は2,3日後かな。
学生時代は東工大もとい大岡山国立公園が一番好きなお花見スポットだったのでわざわざ他のお花見スポットを探す必要がなかった、記憶にある限りわざわざ花見に出向いたのは昭和記念公園か河津桜か千鳥ヶ淵か目黒川くらい?(←列挙したらけっこう行ってた)自分のテリトリー感があって、自由に写真を撮りに回れるし、学生や家族連れが多くて賑やかながら、整備されているので煩わしくないし、ちょっと疲れたら美術部室に避難してスマブラもできる。駅前のマックに買いに行くのも好きだったな~こういうときは合法的にジャンキーなものを食べられるのでむしろわざわざ積極的に選んでた、四川の角煮弁当も好きだったな。春はモチベーションが高いのでそのまま部室でクロッキーをしたり作品を制作したりして。
コロナの期間中は車がウッドデッキに侵入する損害事件もあって学外の人は門前払いだった気がするけど、今年は解放されてるのかな。来年は東京に戻っている可能性が高いので、東工大で久しぶりにお花見したいな~
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絢香の全国ツアー当たりました、2013年にNHKホールで観たSongLetters以来、9年ぶり!元気を補充できる、超楽しみ。今度の大阪metrockにも応募してるけど4次選考外れてしまった、青空のTOMOOさんを拝みたいので当たってほしい。(実はJAPAN JAMもタイミングよく東京にいたので行けたといえば行けたのだけど予算的にチキッてしまった)
WBC優勝
仕事をしながら朝からWBC観戦。準決勝に白熱しすぎて決勝はスムーズに勝ってしまった(そんなことない)ような印象、テレビをつけたらすでに3点入ってしまっていたので、昨日ほどの緊張感もなく落ち着いて観られました。最終イニングでの大谷登板、トラウトとの直接対決はなんとまあよくできた物語だなあと思いました。
こういう大きい大会でもない限りなかなかスポーツを追いかけられないけど、心を震わせて興奮できる貴重な機会だな~と思います。野球ってサッカーみたいに走りっぱなしじゃないし、3ボール2ストライクみたいな精神的なハラハラだけをピュアに味わえて面白い、映画みたいだね。
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そんな感じでエレキの練習が楽しい、やっぱり頭を使って勉強するより体を使って練習するほうが自分に向いているなと改めて思う。
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水彩境界と表面下散乱(SSS)って相性がいい(むしろ後者のために前者がある)と思っているけど、パっとググった限りはそれに言及しているものは少なそう。SSSというより明暗境界(反射光の表現)でもあったりするかもしれないけど、saiだとスイッチひとつで表現できて便利だね。
春分のRevstar&WBC
春分の日に朝からWBCを観てギターを買いに行ってワクワクした内容の記事を書いていたのに、さっき(3/23日現在)手違いで(というかブログの仕様上)消えてしまった、そんなことある(;;)
思い出しながら過去の日記を書ける気がしない、ブログの内容はたまにローカルに保存してたりするんだけど今回はそんなバックアップはなく…
…と思ったらはてなブログに編集履歴が残ってた!(しかも結構前からの標準機能)
もう再現記事書き直しちゃったわ、なんなら元の記事より情報量多いまである
↓でもほとんど元の記事載せておきます
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春分の日、15年ぶりにギターを買った!(過去記事を調べたらほとんどぴったり15年ぶりだった)
shirakawa-yofune.hatenadiary.com
YAMAHAのRevstarRSE20
エレキギターを買うのに特に拘りはなかったけど、昨年末に同僚とご飯を食べているときに居酒屋の店員さんから「これがけっこういいみたいよ、」と勧められ、これも何かの縁かと思いついに買った。
オンライン店舗のどこにも白色がなく、少し遠い店舗から近くの店舗に取り寄せてもらう。ギターアンプmini5と合わせて8万くらい?10万以内に収まってよかった!アコギと違って夜に練習できるのが嬉しい、アコギのおかげでゼロから学びなさないといけないわけでもなく気分が軽い。(といいつつさすがに下手なのでYouTubeでエレキ初心者用の動画でゼロから勉強中)
真面目に楽器を練習したあとはパソコンのキーボードの打鍵が軽い。
昔から一人遊びが得意だったこともあって、中学生になって興味を持ち始めたギターも弾き語り大前提で何も考えずアコースティックだったし、しばらくして姉が買ってきたエレキギターにも興味を示さなかったけど、今になってようやく(今まで興味を示してこなかったものに対して)門戸を広げるだけの気概ができてきたなと思ったり。
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WBC準決勝、1次リーグのときから今のところ全試合見てるけど、今日は朝からドラマのような追いつき追い越されサヨナラ大逆転の試合を見てしばらく興奮冷めやらなかったです。普段プロ野球はそんなに観ませんが(誘われたときに試合を観に行く程度)上位打線下位打線、投手も野手も関係なく、全員にMVPを与えたくなるような頼もしい試合だなと思いました。日本おめでとう!明日の決勝が楽しみ。
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春分 Spring equinox
言語由来の世界観
※以下未推敲
絵を描くときにわざわざイメージを言語化したりしないし、それは作品に対する責任を放棄している部分でもある。それでも絵で表現するということは言語的な物語が(潜在的に)内包されてい(るべきであっ)て、その基盤によって画面が強固に仕上がることは事実としてあり、作家の責任でもある。
一週間のうちで絵を描いている時間が圧倒的に長いけど空いた時間で詩曲を作ろうとすると実は行為として全く同じものだと思える、単語を並べて物語を構築していく、作詞に限っては特にt2tなので直接的に物語が反映される。
そういう意味でも先に絵が出来上がっていると曲が作りやすいなと思う。逆にうまく言語化のルーティンがはまれば絵を描くのに役に立つだろうなと思ったり。
人間は呆れるほど物語に貪欲な生き物。
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work in progress
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ライブ的ライフ
※以下未推敲メモ
ライブやスポーツのように絵を描きたいと思っている、というか人生そのものをライブ的に進めていきたいとずっと思っている。余計な心配をしないで身体の反射だけで生きるような感覚、線形的に物事を進める、頭の中のイメージが勝手に身体の各部位から表出される、それでこそ人間だと思う。
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自分は圧倒的に勉強が得意(特に試験などのボーダーがあるもの)で恐らく失敗をしたことがないのだけど、練習が得意かと言われると怪しい。毎日勉強して試験に合格した経験はあっても、毎日練習をして勝ち負けを決めたり何かに認められるような経験をしたことがない、もといそういった境遇に置かれたことがない。しいていうなら中学と高校の部活がそうと言える気もするけど、正直誰にも負けたくないと思うほど練習もしてなかったし体格的にも最初から誰にも負けないほど上達できると思っていなかった。練習とは身体の使い方をパターン化させるものだと思うけど、その分を頭でカバーしてきたところがあまりに大きい。テレビゲームにおいては多少は練習するものの(例えばマリオカートの直線ドリフトとか)、スマブラとかスプラもコンボは覚えないし対面を鍛えない、まっすぐな技術勝負ではなく心理戦に持ち込んで勝とうするところがある。それで8割9割のところまでは勝ち上がれるので、残り1割を詰めようとしない。ただこの残り1割を詰めようとすると最初から身体に覚えこませて頭の調子に左右されないことが必須で、それには膨大な時間と労力をかけることは避けられない。器用貧乏は100点をとれない。
たとえばこういった文章を書くことについてもそうで、器用というよりも話の組み立て方を身体でわかっていると(使っているのは実際頭なんだけど、)最初から最後までシームレスに書き連ねられると信じているところがある、実際それが可能かどうかは定かではないけれど、漠然とそういったイメージで文章を組み立てられると、ものごとを考えることにもその能力が付随して人生の豊かさが10倍近く違うんだろうなと思う。
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作品をつくっている間は身体ではなく頭が作用しているので技術が上達しない。それほど上手にならなかったバレーボールの部活動時代から思っていたけれど、練習とは本番以外のただなんとなく遊んでいる時間の積み重ねで身につくと思っている。それには思考を付随させず身体の為すがままに委ねるということ。そう考えると制作はひたすらリソースを消費する行為に思える、技術が足りないと思ったときにいつ練習するか?この最適解は「10代までに身に着けろ」が今のところ有力なんだけど、長い人生なのでまだ諦めたくないな、ライブ的ライフ。