「偶然の産物」と直感の信用
なんとなく手を動かして偶然良いものができてしまったとき、理論的にゴールを探す方法がボトムアップ(①)だとすると直感的にゴールから下っていく方法はトップダウン(②)と言えるかもしれない。こういう場合に果たしてこのまま進めていいのか、(進められるならかなりの時間の短縮になるけど、)一度立ち止まって理論的に構築し直すのがいいかよく迷う。なぜこうするとよくなるのか?と考えることがときにはとても難しく、正解にたどり着かないこともある。結局後者ででてきたものを肯定するために前者の作業は欠かせないけど、直感的によかったものの強度もそれはそれで魅力的なものを持っている気がするし、、、
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直感をよく信じる方だと思う、理論的にものごとを決める場合、判断材料はそのときに考えた数秒から数分・数時間にすぎないけれど、直感はこれまでの人生で得られた経験の積分値だと思う。仲良くなれるとかなれないとか、面白いとか面白くないとか、良いとか悪いとか。ここのところは何につけても第一印象と最終的な結果を見比べることが多い、知らないうちに癖になっているのかもしれない。なんとなく入ったラーメン屋がおいしいかおいしくないか、買った服を着るか着ないか、仲良くなれそうかどうか。人間関係については特に(この歳にもなるとネガティブな人間関係を築くことにかなり抵抗があるし)判断しがち。
そして外れることがない。もしくは外れていることに
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と、思い返せば自分は圧倒的に②の方法でデザインすることが多い。まず最初にデザインのヒントとなる要素を書き出して、そのあと論理抜きの理想的な完成像を探す。そこから双方を摺り寄せるように文脈を構築して完成させる。悪い癖としてぽんぽん新しいイメージに刷新しがち。