白河夜舟の備忘録

【白河夜船】実際には見ないのに、見たふりをすること― (引用:広辞苑)

自分のための記録です。思考や感情の変遷を、日記的メモ的にまとめています。
学生時代の記事は一部を除いて非公開にしています。
過去の自分は他人だと思っています。

北風180度

恍惚とする言語表現に触れると、その表現の解像度や対象との距離感を維持したまま画面に再構築できないか、なんていつも同じことを思います。意外な言葉の組み合わせとリズム。自分の世界観は具体な言語由来で表現されうるという潜在的な認識がそうさせるのかもしれない。ただ前提に、その感情に起因するのは純粋な詩歌他にJ-POPが多くを占めていて、即ちそれは言語だけの仕業ではないよね、というのはあったりする。

好きな言葉の組み合わせパターンははっきり見えないけど、その言葉の性質(擬音語、口語、慣用句、比喩、感嘆符など)に遡及して、その大枠で俯瞰すると機微の傾向が見えてくる、気がする。

瓶の底のほうに残った力で

そう考えて好きな文章を並べてみると、自分では書けない表現がたくさんあるなあと思ったり。空気の乾湿までをも感じさせる生々しい風景描写の中に、心の動く隙があって、空間の無責任さを人間の起伏する感情によって償う過程にドラマを見出しているのかもしれない。自分の作品については例えば『幻想的な』に類する形容からは程遠くて、もっとリアルな肌感覚を刺激する描写が似合うと思うけど、こうしてみると実はやっぱり自分が言語由来的に世界観を創出しているという仮定は正しくて、表現手法の違いはあれど根底にテーマとして通ずるところはほぼ完全に等値なのかもしれない。

 

今突き詰めている世界観の先に何もなかったらどうしよう、98%くらいは理想的なものを表現せんとしている確証はあるのだけど。諸事情によりあと12000歩も歩かないと行けないのでペンタブを置いて公園の周りをぐるぐる回ってます。

そういえば昨日まではためいていたカーテンが網戸に張り付いて動かなくなった。正圧の部屋、風が建物を回り込んで南へ疾けていくのがわかる。早くも秋も折り返し?ノスタルジーが加速する。