白河夜舟の備忘録

【白河夜船】実際には見ないのに、見たふりをすること― (引用:広辞苑)

自分のための記録です。思考や感情の変遷を、日記的メモ的にまとめています。
学生時代の記事は一部を除いて非公開にしています。
過去の自分は他人だと思っています。

定義と実用性

一週間の始まりは日曜日だ(から日曜始まりのカレンダーを買いたい)し、既存は「きそん」だし日本橋は「Nihombashi(音声学的)」だし、融通が利かないと言えば然りだけれど、実用性によって柔らかな変数が増えることを潜在的に忌避している。直接的に関係のない変数は定数として扱い、日常生活に関わるものごとの決定事項を無意識に減らしている。定義と実用性を天秤にかけたとき、針は前者に振れる。それは恐らく自分の記録癖が関係していて、何かデータを収集するときに形式がそろっていないと後からデータをまとめられない、という、(何をまとめるつもりなのかと思うけど、)そうなる未来を無駄に見越して行動を選択している。
とりわけ文章・言葉において定義は尊重されやすい。デジタル上で何か文章を書くとき、もはや「文頭一字下げ」をすることはない(し、自分もしない)けれど、そもそも段落の定義ってなんだっけ、と今年の年始に読んだ『段落論(/石黒圭)』を思い出した。
一部内容を抜粋すると

段落の
形式的定義:改行一字下げで表される複数の文の集まり
意味的定義:一つの話題について書かれた内容のまとまり
機能的定義:文章をわかりやすくするための文の形態的・意味的集合
 
【伝統的段落と先進的段落】
・伝統的段落(紙媒体):改行一字下げ
 紙=コストの削減で文字を詰める→空白が結果的に目立つ (黒地に白の空白)
・先進的段落(電子媒体):一行空け
 空白を厭わない(白地に黒の文字)
 LINEの吹き出し、囲み文字、PowerPointTwitter等…図形的な新しい段落

単純なのでこの本を読んで安心した。段落の定義がそもそも「形式的」でもあり、実感(実用性)としての段落の使い方(字下げなし一行空け)が新たな定義に組み込まれることは自然なのかもしれない。
定義を重んじると断っておきながら、それに尤もらしい理由さえあれば簡単に仮初めの定義を受容してしまう。