白河夜舟の備忘録

【白河夜船】実際には見ないのに、見たふりをすること― (引用:広辞苑)

自分のための記録です。思考や感情の変遷を、日記的メモ的にまとめています。
学生時代の記事は一部を除いて非公開にしています。
過去の自分は他人だと思っています。

霞んだ鱗を太陽に透かして

柄にもない話をすると、楽しい人生にしたい!というとき、今日がその人生の一部であることを忘れがち。それでも、今日が楽しい=人生が楽しいと一概に言えない気がする不思議。だから自分は日記を書いているのかもしれない。しかしながら、塞ぎ込むほど辛い日もあれば、浮足立つほど幸せな日もある、そしてその瞬間によって人生全体の評価も変わる気がするし、楽しい人生とは積分値なのかと思いつつ、実はそのときどきの瞬間実量によって変化するのかもしれない。

ってこんな結論にするつもりじゃなかったんだけど。

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日記やブログの長文を書いていると、もっとタイピングが速くなりたい欲がわいてくる、今の文章の長さは技術的なところで頭打ちになっている気がする、今背筋を伸ばして、正しいホームポジションを意識しながら文字を打っています。文章がめっちゃ固くなる。なんとなくの傾向として 一番間違いやすいのはU2をU3で打つこと、パイナップルとか正しいフォームで打とうとすると結構難しい、パイナップルパイナップルパイナップル。慌てず正確に文字を打つほうが大事。こうして気を付けて文字を打っていると、思考とタイピングがよくリンクしていることがわかる。何も考えられない。U3って都合悪くないか、中指で打つほうが今のところ慣れているせいかメリットを感じてしまう。呪文のような日記。

無音生活

最近微SNS禁の生活をしていて、日中はSNSを見ない、それ以外の時間でも極力見ない…という生活をしています。で、そうなると、食事中だったり、歯磨き中だったり、お手洗いに行ってる時間が、無音 ―――――――――

 

――― 無意識にこういう時間をYouTubeで埋めていたらしいことに気付く、YouTubeを見ないときはradikoかテレビを意図的につけていたりするけど、今や自分にとって無音は特別なものだったんだなあと思いました。時間がたてば慣れるだろうと、スマホはベッドに置き去り、お手洗いには(暇にならないように)世界史の本を置いたりして、少なくとも日中はSNS禁を徹底してます。

SNS禁は今に始まったものでもなく、過去に何度もやろうとした、もとい、やろうと思えばすんなりできた、とポジティブに挑戦してきた歴史があるので、まあ数時間も放置すればSNSの存在が気にならなくなることは検証済み、それで今もスマホは隣の部屋に置きっぱなしになっていますが、音を気にしたことはそういえばなかったかも。音楽をかけるかかけないか、ラジオをかけるかかけないかでどっちが集中できるかとよく試しはするものの、結局いつも何か流しちゃうので。

 

そうこうしているうちに無音に慣れました。心地いいかも。ファミマで水を買うときは値段的にも飲みやすさ的にも津南の軟水を買いますが、それと同じ匂いを感じる。
向こうしばらくはこの無音生活を楽しみたいと思います。集中を阻害されない安心感はありそう。

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今日になってようやく冬物の服なんかをきちんと片づけたけど、思い立ってこういうことをしてしまうとクリーニングに出さずに仕舞ってしまうので本当によくない。こういうことに計画性をもって取り組める大人になりた(かった)。

貸出カードを作りました

本を買うのがもったいない、特に小説なんかは一回だけしか読まなかったりするし、、、(金額分の価値を消化する時間と能力がない)と思ってようやく図書館で貸出カードを作りました。流行ってたり話題の書籍は予約が詰まってて借りられそうにないけど、前に発売した本なんかはいくらでも借りられるのでお得。さっそく何冊か借りてきました。

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最近本を読まずに文字を拾ってばーっと読む(分速10ページくらい)にハマってて、細かい言い回しとかは享受できないけど概要はわかるしとにかく文字を読むハードルがめちゃめちゃ下がる。昔から本を読むのは早いほうだったけど、文字列を右脳的に解釈していく読書RTAはまた違った中毒性がある。

 

いや、毎月送られてきて読まないまま家に溜まってしまっている『建築雑誌』を消化したいと思っているんですよね、、、

アスペクト比

普段iPhoneのカメラのアスペクト比は9:16に設定していて、今の自分の流行としてはこの比率がしっくり来てるけど、先日のマティス展で絵の写真を撮ってみるとアナログなものを無理やりデジタルに納めているような冒涜とも言える違和感をおぼえた、16:9は黄金比に近いとは言え、デジタルモニターで散々飼い慣らされた自分にとってはアスペクト比の穏やかな、1.4、1.3程度のものに対してアナログらしい温かみを無意識に感じているらしい。
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絵を描く際にもアスペクト比次第で表現できるものが全く変わってきてしまうので、いつも同じような比率で描いている自分が表現をあきらめた(≒切り捨てた)ものはかなり多いかもしれない。

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Metaが新しいコミュニケーションツールをローンチ、Threads、例にも漏れずさっそくアカウントを作りました、特に使い分けるでもなく、気分で使ってみたいと思います。
一方で、このブログをもっと更新したいという意欲もわいてきました。SNSに振り回されないようにしたい。

蔡國強 宇宙遊 @国立新美術館

新美で6/29から開催されている蔡國強 宇宙遊展を観に行きました。いつもサイコッキョウと呼んでいるけど、中国寄りの発音でツァイ・グオチャンと言うらしい。初週だけど、初週だからかチケットもその場で買えたしそれほど混んでもなかった。

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火薬の爆発で半偶然的に作られる画面は伸びやかなドローイングのようで、生々しい硫黄の匂いが漂う紙や鏡の媒体の上で無限の解像度を持ちながら虹色に光る画面は、展覧会のテーマでもあるビッグバンのように鮮烈でした。途中に展示されている油彩のドローイングがチープに思えるほど。

午前中にサッとみて大阪に帰ってくる予定だったけど、展示が面白くて長居してしまった。特定のシーケンスもなく、2000m2という広々とした空間を行ったり来たりしながら、気になった作品を何度も見返せて十分楽しめました。インスタ映えするようなアートワークもあり、メインのインスタレーションは光るし動く。

日本人を見るとハッとするほど外国人が多かった、アジア系から欧米系まで。何人かにインスタ用らしい写真撮影をお願いされたのでついでに写真を撮ってもらったりしました。その写真は(自分のスマホじゃないので)手元にないけど。
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GW以来の東京帰省も終了、6/28のTOMOOライブWotKに始まり、毎日大学の友達に会いながら自分の創作活動をキャリブレーションする良い時間でした。マティスは見られたけど7月後半から見たい展示もいくつかあるので、8月上旬の間にもう一回東京に来られたらいいなあと思います。楽しかった~

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面倒なボーダー

こんな時間(22時)に洗濯機を回しておきながら言うのもなんですが、家事全般を始め世の中けっこう手間で面倒なことって多い。というか寝る以外基本的に面倒なことばかり。

0から100までの面倒なこと(100にいくほど面倒)があると思ったときに、面倒ボーダーが10くらいの日は寝ることしかできない(ご飯食べるのすら面倒)し、面倒ボーダーが90くらいのときは割と一日テキパキ動ける。会社で仕事するようなときは嫌でも面倒ボーダーが70くらいに引き上げられるのでそれほど何も思わず手を動かせるけど、そうでもない日はこの面倒ボーダーをいかに高い水準で維持できるかが大事だな~と思います。意識的に変えられる気がしない(;;) 面倒ボーダーの引き上げは人生に果敢に挑むための「積極的諦念」だと思って〼。

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秋のデザフェスに申し込みました。5か月しかないのでやること整理しないとすぐ当日になりそう。頑張ります。

昼寝の時間

日中睡魔に襲われたとき、ここ1年くらいはタイマーを12分で設定して仮眠してる。以前は20分くらいだったけど、もっと寝てたい!という欲求に反して短くなってきた。12分の間でも8割近い確率で夢を見るので本当に眠っているらしい。。12分のアラームで目覚めるのが半分、1分くらい前に目覚めて自分でアラームを止めるのが半分くらい。起きた後は本当に「12分しか経ってないの???」と思う、しかもけっこう冴える。

すごい妙な習慣がついてきた、でも12分で仮眠ができると思えば15分くらい電車に乗る間でも仮眠できるということなので、12分で仮眠は足りるんだ!とよく自分に暗示してる。昼休みなんかは47分になると「昼寝しなきゃ」と思うようになってきた。

「偶然の産物」と直感の信用

なんとなく手を動かして偶然良いものができてしまったとき、理論的にゴールを探す方法がボトムアップ(①)だとすると直感的にゴールから下っていく方法はトップダウン(②)と言えるかもしれない。こういう場合に果たしてこのまま進めていいのか、(進められるならかなりの時間の短縮になるけど、)一度立ち止まって理論的に構築し直すのがいいかよく迷う。なぜこうするとよくなるのか?と考えることがときにはとても難しく、正解にたどり着かないこともある。結局後者ででてきたものを肯定するために前者の作業は欠かせないけど、直感的によかったものの強度もそれはそれで魅力的なものを持っている気がするし、、、

直感をよく信じる方だと思う、理論的にものごとを決める場合、判断材料はそのときに考えた数秒から数分・数時間にすぎないけれど、直感はこれまでの人生で得られた経験の積分値だと思う。仲良くなれるとかなれないとか、面白いとか面白くないとか、良いとか悪いとか。ここのところは何につけても第一印象と最終的な結果を見比べることが多い、知らないうちに癖になっているのかもしれない。なんとなく入ったラーメン屋がおいしいかおいしくないか、買った服を着るか着ないか、仲良くなれそうかどうか。人間関係については特に(この歳にもなるとネガティブな人間関係を築くことにかなり抵抗があるし)判断しがち。
そして外れることがない。もしくは外れていることに気付かない・・・・・。直感的にいいと思ったものに対しては、何度耳に入っても目に入っても第一印象がそのままリフレインされるのだと思う。直感が好感触であるが故にそのあとの対応が自然と変わりもすると思うけど、悪い結果を齎す可能性が少ないなら第一印象で決めることはかえって合理的な気もする。

と、思い返せば自分は圧倒的に②の方法でデザインすることが多い。まず最初にデザインのヒントとなる要素を書き出して、そのあと論理抜きの理想的な完成像を探す。そこから双方を摺り寄せるように文脈を構築して完成させる。悪い癖としてぽんぽん新しいイメージに刷新しがち。